代表取締役 石井正治

Interview

代表取締役 石井 正治

お客さんを大事にすることで、働いている人を大事にすることができた。

Profile

父の会社から独立して創業。大きなピンチもあったが、持ち前の人柄と「社会から必要とされる会社」をモットーに長きに渡り会社を牽引。国士舘高校レスリングOB。趣味は読書。好きな作家な浅田次郎。


父の会社から独立しての創業

最初は父の会社に兄と勤めていましたが、兄とはずっとケンカばっかりだった。すぐに従業員をクビにするからさ。そのうち父親が、いずれ兄弟二人でやっていても、何年か先に上手くいかなくなるだろうと。
その時に会社を二つに割るようなことになると、兄貴が本家だからおかしくなるぞと。「お前は俺が元気なうちに、自分で始めなさい」と親父に言われたんだよね。ただ条件としては「お客さんを一人も連れて行っちゃいけない。従業員も一人も連れて行っちゃいけない。お前が一人でやりなさい」ということだった。

でもそれが良かったんじゃないかなと今は思います。お客さんと従業員を大事にすることができたからさ。全部自分でつてを頼ったりして仕事も集めたからね。お金については「俺が元気な限りは、なんかあったら面倒見るから」と親父が言ってくれて。一番良かったのは、材料屋さんやなんかは全部ツケで頼めたってことです。

普通は自分で会社を始めたら保証金を入れなきゃならなくて、材料の購入なんかは大変なんだけど、まだ親父が元気で、材料屋さんを呼んで「うちの倅を頼む。なんかあったら俺の方で責任を持つから」と言ってくれた。それと今住んでいる家がそうなんだけど「あそこに会社を出しなさい」と。それで、なにがしかのお金を貰って、そこへ自宅兼店舗を建てた。だから厳しいといえば厳しかったけれど、普通の人よりもスタートの環境は恵まれていました(笑)。

年末に不渡り手形を貰ったこともあったね(笑)。

当時はまだ26歳ぐらいだったけど、実は早く歳を取りたかったんだよね。我々設備業というのは、意外と後の保証とかが色々とあって信用が大事だったからさ。当初は、こんな若いのに仕事を任せられないというお客さんが多かった。それこそもう辛い時期もありましたよ。12月25日に不渡り手形を貰ったりね(笑)。

今は笑っているけど、忘年会もできないから、うちのお母ちゃんが従業員に料理を作って、うちで忘年会をやったりして。お客さんに「いいよ!石井さん、うちの保養所を使ってくれ!」って言って頂いて。安く湯河原の保養所を使わせて頂いて社員旅行にも行けたんだよね。私はこんな性格だから、お客さんには好かれていたんだよね(笑)。


商売が軌道に乗ったのは赤羽の再開発がきっかけだったね。たまたまうちが下請けとして、駅の周りの都営住宅の工事を本家から請け負ってやっていて。その建築屋さんが赤羽の会社だったんだよ。そこの社長に非常に気に入って頂いてから流れが変わったんだよね。

「石井さん、民間もやるのか?」とそこの社長が言うから「いやあ、やりますよ!」と言ったら「じゃあ、うちのをちょっとやってみてよ」って。そこの社長さんが、ある程度忙しくなってきた時に「もう石井以外は使うな!」と言ってくれた。ところが、その会社が上手くいかなくなってきた。そのお客さんのお陰でここまでなったのにさ。
それで、実家の方に相談に行ったんですよ。そうしたら、「お前が手を引いたら、潰れるのが早まるだけだろう」と親父に言われて。「じゃあどうしようか?」と言ったら、「売上をもっと増やすようにやるんだ」と。それで、そのお客さんと役所関係の仕事を一緒に始めた。

民間工事が主だったけど、役所の仕事を50%くらいにもっていった。そこで仲の悪い兄から「お前、一回でも不渡りを喰らったら、銀行なんか金を絶対に貸してくれないから、今のうちに借りとけ」とアドバイスがあったんだ。「借りても使わなくていいから」ってね。
それで小切手を切って、手形を回収して歩いちゃったんです。そんな行動を材料屋さんも見ていてさ。えらい信用してもらった。そういう意味では兄貴とは仲がいいんだよね(笑)。その頃、息子も生まれたんだよな。

仕事とは

仕事はさ、いや、もう社会のためよ、本当に。それを忘れたら絶対にダメ。キザなようだけど。お客さんに必要ないと思われたら存在価値がないものね。
従業員だって親以上に面倒を見てあげないとダメだね。今は本当にグローバル化して、色々とあるけど。「日本の企業の昔からの良さ」というか、これを捨てたらただの金儲け集団だよね。

これは私の考えだけど、「お金で幸せを買えるか?」と言ったら買えない。ただ不幸は防げますよ、お金があれば。「幸せはお金で買えないから、一生懸命仕事をやる。そうすれば不幸になる確率は減る」。本当にキザなようだけど、これが私の本心なんですよ。

仕事は、ありきたりだけど、夢を持ってやらないと駄目だよね。夢といったって、様々でいいんですよ。いい車に乗りたいとか、家が一軒欲しいとか、何でもいいから夢を持ってやらないとね。あと特に言いたいのは、うちの会社の場合は若い人からヨレヨレまでいっぱいいるわけですよ(笑)。でもテレビじゃ平均年齢30いくつって会社をよく見るよね。だけどそんなのは、逆に言うと長くいられない会社なんだから。ずっといられる会社の方が、私は魅力があるんじゃないかなと思う(笑)。

社長は国士舘高校レスリング部のOBです。

高校時代のレスリングも経験が役に立っているかどうか、私もよく分からないけれど(笑)、物事に動じず、筋論として意見を言えるようになったね。つい皆空気を読んで、なんとなくこの場で言ったら不味いんじゃないかと思ってしまうけど、昔からおかしなことはおかしいとハッキリと言えるよね。

絶対に潰れない会社を目指しているよ。

みんな分かってくれないけど、会社を際限なく大きくしようと思っていないんですよ。一定の大きさがあればいいだろうと。その一定の大きさというのは、絶対に潰れない会社で、国でいうとイスラエルみたいに周りが全部敵でも一番強い国。ああいう会社を目指したいなと思っています。ただそれには内部留保が相当なきゃならない。 だから人材と、一番大事なのは情報だと思っています。だから情報だけは、あらゆる手を使って集めるようにしています。それをケチっているようではダメだね。

昨日も、とある銀行の支店長さんと話をしたけど、やっぱり会社の強さとは、ただ利益を上げるという点ではなくて、従業員の質や負債の無さなど、色々な意味で「会社の大きさ」よりも「会社の強さ」を私は優先してやっているつもりです。先ほどの話と似ているけど、足元がしっかりしていれば、あとは皆さんが会社を形作ってくれますしね。

新社屋を建てて

世間は心配していないけど、関東大震災から100年経っているので、東日本大震災と同じような災害がいつ来るか分からない。その場合会社はお城だから、ここだけはしっかりしていないといけません。

我々は各地のお役所さんと災害復旧の契約をしているので、そもそも会社が潰れているようでは話が進みません。そういうことで「見栄え」よりも「丈夫さ」を最優先に、新しい社屋を造りました。窓なども若干少ないかなとは思っていますが、「デザインよりも丈夫な会社を作る」ということが最優先。
これは経営内容も同じで「金儲けに走らず、いわゆる健全な会社を作ろう」というのが私たちの目標ですからね。

休日は読書。浅田次郎が好きだな。

休日は大体本を読んでいます。今読んでいるのは『大名倒産』。私は浅田次郎が好きなので、ずっと彼の作品を読んでいます。また彼の講演会も好きで、新潟まで日帰りで聞きに行きました(笑)。あとは犬の散歩かな。

この先の50年に向けて

私の会社経営の目標は「社会の役に立つ会社を作る」ということです。先ほどからくどいようですが、やっぱりお金儲けに走らず社会に必要な会社を目指していれば、逆に周りでウチの会社を何とか食べさせて頂けるんじゃないかなと思っているので、今と変わらずに、誰もやらないような面倒くさい仕事とか、皆が嫌がる仕事も進んでやるようにしています(笑)。